久しぶりにクレヨンで絵を描いてみたくなり、近くの量販店の学用品売り場で買って描き始めました。
結局、クレヨンではなくオイルパステル(サクラクレパス)を選んだのですが、クレヨンもオイルパステルも本当に久しぶりだったので、外箱を開けたあとに手にした一本が本当に小さく感じました。
わたしは女性にしては手が大きいほうなので、まだ手が小さかった子どもの頃に手にしていたクレヨンの記憶とのギャップが他の人より激しいのかもしれません。
そういえば、画学生の頃に油彩と併用できるプロ用のオイルパステルを使っていたのですが、葉巻のように太くて長かったことも思い出してしまいました。
1日目は夕飯用に買ってあった栗をモチーフにして描き始めました。
栗は丸くてキュートな形状や、茶系色のグラデーションが美しいですね。
描き進めている途中で、8歳の頃に父親がクレパスを買ってくれたことを思い出しました。
それは学校で支給されたものよりも色数の多い横長の紙箱に入ったものでした。
時は高度経済成長期の真っただ中、会社員だった父には家庭を顧みる余裕なんてなかったと思います。
それでも、学校では上級生に冷やかされ地域の子ども会の中でもその場に馴染めず元気のなかったわたしが、絵をかいているときだけは生き生きとしていたことには気付いていたのかもしれません。
その後、父はわたしが本格的に美術を学び始めた頃からは批判的になり、褒められたこともほとんどなかったのですが、そんなこともあったんだと再認識したのでした。
古い記憶とともに訪れた考えに、つい涙腺が緩むのを感じました。
2日目は部屋に飾っていた生花をモチーフにしました。
名称はわかりませんが、丸い蕾やポピーのようにランダムに伸びる茎のかたちが美しい生花です。
クレヨンもオイルパステルも、なんとなく子ども向けの画材だと思われがちですが、とてもしっかりしたつくりの画材なんですね。
短時間とはいえ、2日間使ってみたのですが慣れない画材にみごとに振り回されてしまいました。
子どもの頃にあんなに使っていたものなのに・・・。
子どもの頃は ”上手く描こう”なんてほとんど考えてなかったと思います。
当時は肩幅よりも大きな画用紙を埋めるために精一杯だったはずです。
大人に近づくにつれて ”上手く描こう”、”上手く描かなきゃ”などという思いが大きくなり、徐々に手が進まなくなっていったような気がします。
『子どもはいつも ”いまここ”に100%で生きているけれど、大人は過去を後悔して未来を恐れて ”いまここ”に生きることが難しい』
以前、幼児教育をされている方からこう伺ったことがありました。
本当にそうだと思います。
わたしも人一倍に過去を後悔して、未来を恐れて生きてきました。
いつの間にか
『童話の ”アリとキリギリス”に出てくるキリギリスのような人生になってはいけない』という刷り込みが頭の中にありました。
そして、”好きなこと”、”楽しいこと”をすることに罪悪感のようなものを伴うようになっていました。
人生を楽しむことと、自分を甘やかすことをごっちゃにしていたのです。
人生には計画性が必要ですが、時には自分が好きなことすることを自身で許可して認めてあげることも必要なのではないでしょうか。
わたしも社会生活を送りながら美術とヨガを続けていますが、一日のなかで充てられるわずかな時間であってもちょっと心の持ちようを意識して ”いまここ”にフォーカスするように仕向けています。
これが習慣となって、よい仕事ができると信じています。
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