先日、絵をかくために使うパネルを手作りするにあたって、必要となる工具を買い足しました。
その際に、売り場に並んでいた彫刻刀セットが気になったので購入しました。
それは工芸や木版画用の本格的なものではありませんでしたが、思いのほか扱いやすくて細かい作業にも役立ちました。
そして、昔からなぜか木を彫る作業が好きだったことを思い出したのでした。
わたしは版画を学んだ経験は少ないのですが、小学校での図画工作の授業では2年生の頃に紙版画、4年生か5年生の頃に木版画を制作しました。
中学校1年生の頃には、美術の授業の中でアクリル板を使ったドライポイントという版画を学びました。
大学では2週間ほどの集中講義でしたが、エッチングという銅版画を学びました。
小学校2年生の頃、図画工作の授業で配られた紙版画の道具を初めて見たときの記憶は、いまでもはっきりと覚えています。
それは、真っ白でスポンジのように柔らかくて裏面がシールになっている用紙が数枚と、白いボードが1枚入った紙版画セットでした。
その不思議な触感の用紙に気を取られているうちに、先生からの説明を聞き逃してしまったのだと思います。
わたしはその直後に何が始まったのかがわかりませんでした。
「これから、この白い道具と鉛筆やはさみを使って何をすればいいんだろう?」と戸惑いました。
しばらくして周囲の同級生の様子などから、いま何をやるべきなのかをやっと理解できたのですが、今度は題材がなかなか思いつきませんでした。
結局のところ、なぜそれを選んだのかは覚えていないのですが、当時苦手だった跳び箱を飛ぶ自分の姿を題材にして作り始めました。
作っている途中でも、
『跳び箱、嫌だな・・・嫌だな・・・嫌だな・・・』と考えながら手を動かしていました。
後にインクを塗って、紙に写したら絵が反転することなんて全く頭にありませんでした。
初めて手にした不思議な白い用紙の扱いにもかなり手こずりました。
その後、1.5等身くらいのめちゃくちゃな等身バランスのわたしが、一斗缶位の大きさの跳び箱をビクビクしながら飛んでいる姿を表現した紙版画が出来上がりました。
記憶を頼りにしながら鉛筆画で再現してみました。
かたちの描写としては、実際のほうがもっと下手だったと思いますが、なぜか歯や手の爪、指関節のしわ等の部分的な描写にはこだわっていました。
体操服のラインや跳び箱の段の番号など、細かい描写もしていたかもしれません。
何より、もっと大胆で迫力のある構図だった気がします。
その頃には既に自分が運動音痴であることは自覚していて、それを恥ずかしく思っていました。
当時は跳び箱を飛ぶことが怖くて仕方なかったので、その版画にも愛着が持てませんでした。
どんよりとした気分で先生から順番に評価をしてもらう時間を迎えたのですが、どういうわけか担任の先生から褒められて驚いてしまいました。
そして、勝手に『とびばこ、こわいな』という題名を付けられて、コンクールに出品する作品の候補にされてしまいました。
そのコンクールには2人の募集枠があり、もう一人は副担任の先生によってクラスのリーダー的存在だったS君が選ばれました。
S君の作品は、乗馬をする人や数頭の馬がいる牧場を題材にした作品でした。
人間や馬、そして建物や柵の縮尺バランスが整っていて、描写も細かく本当に上手だと思いました。
結局、コンクールではS君が入選したのですが、わたしはそれが当然の結果だと思っていました。
それでも、担任の先生は、
「わたしは、あなたの作品のほうが良かったと思うわ。配置(構図)も大胆で、何より跳び箱を怖がっている気持ちがよく伝わってくるから。」と言ってくださったのでした。
当時、先生がおっしゃっていたことの真意がわかるようになったのは、随分と大人になってからでした。
小学校4年生か5年生の頃の図画工作では、木版画を制作しました。
そのときに初めてプラスティックケースに入った6種類の彫刻刀を手にすることになりました。
当時の担任の先生は、道具の使い方は教えてくださったのですが、絵についてはあまり教えてくださらなかったことを憶えています。
題材は『ごんぎつね』という昔話の一幕でした。
きつねのごんが釣り人の捕ったうなぎを盗もうとしたときに、うなぎが首に巻きついて慌てている姿を木版画で制作しました。
描写はあまり上手にできなかったのですが、木を彫る作業がこの上なく楽しくて制作に夢中になりました。
しばらく作業を続けていると、だんだんと指が痛くなってきたのですが、それでも彫り続けていました。
しまいには授業だけでは飽き足らず、余った端材を持ち帰って家でも制作していました。
こちらも鉛筆での再現です。
絵は上手に描けませんでしたが、とにかく彫る作業が楽しかったです。
中学校に進学すると、週に2コマの美術の授業が始まりました。
美術の専任の先生は陶芸が専門でしたが、絵画や版画、デザインなども幅広く教えてくださる方でした。
わたしは美術の授業が楽しみでした。
毎週訪れるこの時間がとても待ち遠しかったものです。
1年生の冬にドライポイントという版画を授業のなかで教わりました。
それは金属板ではなくアクリル板を使った凹版画でしたが、とても繊細な表現ができる素晴らしい技法でした。
残念ながら、何を題材にして制作したのかは記憶にありません。
毎週楽しみにしていた美術の授業ですが、専任の先生がいらっしゃったのはその1年だけでした。
先生は翌年に転勤することになり、その後は美術の専任教師が不在になりました。
そして美術の授業は、他の教科の数名の先生方が持ち回りで担当するようになりました。
当時の教育現場の背景や事情はわたしにはわかりませんでしたが、何とも言えない違和感を覚えたものです。
美術の授業そのものに抱いていたワクワク感は減ってしまったのですが、1年生の頃に授業や部活で教わったことを大切にしながら授業を受けました。
その先生は持ち回りで美術を担当されていた先生のひとりでした。
「美術部の君にお願いがあるんだ。美術の授業で、ドライポイントという版画があったよね。持ち回りの先生方同士で、何度か練習したけれど上手く刷れないんだ。悪いけれど、後日学校に出てきて、僕に教えてくれないだろうか?」
そして、ちょうど数学が苦手科目になりつつあった頃だったので何となく抵抗を感じてしまいました。
その状態で紙を合わせてプレスすると紙に絵が転写されます。
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